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【個人ブログ】一人前の教師を目指して、きょうしのたまごは今日も頑張ります。
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「いじめは駄目だ!」
「いじめた生徒は、どんな理由であれ叱るべきだ!」

ごもっとも。
いじめた生徒は、もちろん注意して当然。



でも、その子だけでいいの?



いじめた生徒、いじめられた生徒のその空間には、必ずクラスメイトがいるはず。


そんな空間にいる生徒は?
自分には関係ないと思っている生徒は?
見て見ぬふりをしているそんな生徒は?
いじめられている子が助けを求めてることすら気付かない生徒は?

きっと、当事者だけに教師は目を向けていると、
きっと、いつまでたってもその“空間”は良くならないよね。



でも、もっと怖いのは、

当事者のみを叱る教師
見て見ぬふりをしている教師
いじめられている子が助けを求めてることすら気付かない教師


教師の卵より
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無題
はじめまして。
いじめというのは、多くの人間関係と同様やっかいなモノで、一度その関係性が固定されてしまうと、なかなか抜け出せないものです。
当事者も、傍観者も、単に自分の意志を超えて巻き込まれてしまうような関係性がある。
なんか抽象的になって申し訳ないのですが。
私の過去を振り返ってみるとそんな印象が浮かんできます。
ばろん URL 2006/09/10(Sun) 09:12 *edit
無題
コメントありがとうございます。
ばろんさんの言うとおり、「いじめ」の根底は、当事者間にあるのではなく、そのいじめが起こった『空間』全てが問題じゃないかなって思います。

テレビでも、学校でも、家でも、
なぜ『こうした空間ができたのか?』をもっと考える必要があるんじゃないかなぁ。

ついこの間、僕の周りでそうした空間が起こって、僕自身その中いることにものすごい違和感を感じました。
この違和感を、早く感じることができたら、もう少し何か違った形で『いじめ』が減るんじゃないかとふと思って、今回それを忘れないために書きました。



abu-shen 2006/10/23(Mon) 18:54 *edit
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